2010/6/28更新

随筆 「日本酒造り今昔」   四季桜会長  菊地 徹

 桜咲く四月五日、南部杜氏達は玄関に並んだ社員に見送られて故郷に帰っていった。半年間の酒造りを無事に終え、元気に笑顔満面の表情での帰郷である。
 亡き母は「精魂を込めて醸せし良き酒を故郷の土産に帰る杜氏等」と詠んだが、今も昔も杜氏達を元気に送りだす時の安堵感は例えようもなく、杜氏達を乗せた車が見えなくなると脱力感を覚える。
 母が嫁いできた頃の酒造りは、酒は神に捧げる神聖なもので、女人禁制であった。
小学二年生の時、担任の先生から「蔵見学に行きたいので、お父さんに話してもらえるかな」と言われ、「先生、是非来て下さい。酒蔵は面白いよ」と答え、父に話したところ「先生は女の先生なんだよね。それじゃ、駄目だ」と言われ、先生に申し訳ない気持ちでお断りした事を昨日のことのように思い出す。
 母には五十歳を過ぎてから、初めて蔵の中に入ったと聞かされたが、今では女性の杜氏もいる時代となった。
 杜氏制度は、日本酒が市場に流通するようになった江戸時代に遡る。年に五回、四季を通じて行われていた酒造りは寒仕込みが主力となり、それと共に冬季は雪で農作業が出来ない為に、各地に形成されていた杜氏・蔵人という酒造り専門の技能集団は、津々浦々の蔵元に酒造りに出て行くようになっていった。
 酒蔵では酒を造る責任者を杜氏と呼び、酒造り作業に従事する人を蔵人と呼ぶ慣わしがあり、杜氏は気心の知れた蔵人を引き連れて入蔵(にゅうぞう・酒造りに蔵に入ること)するのである。
 蔵人の構成は、オーケストラに例えれば分かり易い。杜氏は指揮者であり、コンサートマスターが頭役である。ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスといった楽器で構成されているように、蔵人は麹造りを担当する麹屋、酵母の培養を担当する酛屋、精米を担当する精米屋、酒米を蒸かす担当の釜屋、酒を搾る担当の船頭等がそれぞれの職務を担当する。
 「屋」が付く職名の中で船頭は異色であるが、これは酒を搾る酒造器具が川に浮ぶ舟に似ているところから付いたものである。
 昭和三十年代までの酒造りには「酒造り唄」が仕事上で欠かせないものであった。酒造り唄は気持ちを鼓舞するだけでなく、数えたりする時や、また時計の役目も果たした。それぞれの仕事ごとに酒造り唄があり、酒造り期間中には仕込み唄、桶洗い唄、米とぎ唄などが蔵の中から聞こえてきたものであった。
 「越後出る時 涙で出たが 今じゃ越後の風も嫌」という酒造り唄がある。酒造り唄は全体として哀調をおび、雪深い故郷に残してきた妻や子を思い出しながら働く蔵人の心情を歌ったものが多い。今ではアルコールの入る直会の時に歌われるだけになった。
 昭和二十年代頃までは、正月休みも無く酒造りに取り組んだものであったが、今でも正月に交代で帰郷する時以外は日曜祭日も休み無く酒造りに取組んでいる。
 酒造りは決して楽な仕事ではない。杜氏達の背中を押したり前から引いたりしながら美味い酒を造ろうと励ますのであるが、思い描いた酒を醸せた時の喜びは、杜氏共々大きいものがあり、日本酒に関わった喜びを感じる時でもある。
 酒造りは天(天候)と地(お米)の恵みを受けて人(杜氏・蔵人)の和で醸すものであり、頑張って酒造りに取組めば酒は必ず応えてくれる。
 今秋も収穫を終えた十月の大安に、杜氏達は入蔵する。
 「杜氏等を桜散る日に送りしに早半年か今日は入蔵」

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