田部井澄先生(四季桜を愛する会前会長)を偲んで
平成13年5月9日田部井先生追悼例会スピーチより
四季桜会長  菊地 徹
田部井名誉顧問の追悼例会で15分程度スピーチを、との話を頂きました。
 私の場合はスポンサーとして、また四季桜を愛する会の会長として23年間お力添えを頂いた関係などからのご指名と思い、田部井先生を偲んで、思い出話をさせて頂きます。

 田部井先生はご承知のようにたくさんの趣味をお持ちの方です。30年程前に伝書鳩を飼育されていましたが、私の兄も当時伝書鳩の飼育とレースに熱中していて、その頃からのご縁であります。

 父が亡くなる直前に「田部井先生を呼んでくれ」ということで、急いで入院先の済生会病院に来て頂き「源一郎をよろしくお願いします」とカスレた声で話し、まもなく息を引き取るということがありました。
 その兄も4年後に癌で亡くなりますが、癌が全身に転移して時間の問題と言われながら半年命を持ち永らえた身体を、是非とも後学の為に解剖させて欲しいとの依頼を受けました。この時も田部井先生が解剖に立ち会うことができるのであればということで立ち会って頂きました。 
 そのようなことで、田部井先生は私にとっては父と兄の最期を看取って頂いた恩人であり、第二の親父のような存在でもあります。

 兄が昭和54年に「きき酒日本一」になった時に、田部井先生始め友人知人がお祝いの会を催して下さいました。その後、田部井先生が会長となられて四季桜を応援していこうと四季桜を愛する会が発足し、今年21回目の会を開催しました。(中略)

 田部井先生の告別式の時に、済生会病院の中沢内科部長さんが参列されました。四季桜を愛する会の会員で存じあげていましたので、その時に立ち話ではありましたが「田部井先生は素晴らしい人でした。ご自分の病状を良くご存じで延命措置は取らないでほしいと話され、冷静に人生の終焉を迎えられました。いろいろと教えられました。」とのお話を伺いました。

 肺気腫を患ってからは、身辺の整理だと半分冗談めかして田部井先生への兄の手紙を参考にして下さいと渡されたり、また多くのワインを頂いたりもしました。本来であれば、その時のワインをこの例会でお清めとして飲むべきであったのかもしれませんが、余りに多く頂いたものですから1本だけ飲もうと飲んでいる内に全て飲みほしてしまいました。先生は「ノンベイでまいったナァー」と笑っていらっしゃるかもしれません。

 先生の趣味の一つである洋ランのパフィオぺディラムもたくさん頂きましたが、こちらは大切に育てていましてその内の一つがまもなく開花します。飲みほしてしまったワインの分も大切にしなければと思っています。
 田部井先生は一時、熱帯魚のグッピーにも熱中していました。ある時「今、グッピーを飼育しているんですよ」と、お話しましたところ早速にグッピーの本を数冊携えておいでになりました。私の飼育していたグッピーはどこの熱帯魚店にでもいるものでしたが、先生のグッピーは胎生のグッピーで特別に東京から取り寄せているものでした。ランの温室で30個程の水槽で飼育されてましたが、ランの消毒液の影響で飼育が難しくなって辞めたとのことでした。
 私の趣味は狭く浅いものですが、田部井先生の趣味はいずれも広く、深く感心する趣味ばかりでした。(中略)

 田部井先生は、名誉顧問という役職でありながら偉ぶることなく、私たちと同じ目線で話をされ、また都合をつけては奉仕活動に参加されるなど、まさに戸村ライオンが宇都宮中央ライオンズクラブホームページに「田部井ライオンはライオンズクラブの良心でした」と書かれたようなお方でした。

 心からご冥福をお祈りしてスピーチを終わります。